マッスル・ショールズのある種の乱暴さと初音ミク

『黄金のメロディ マッスル・ショールズ』というフィルムを観た。いまさらなんですが。

ここ数年、FAMEで録音された音源が続々と出てきてて、どれもこれも物凄く素晴らしい出来のものばかりだったので、このリリースはいつまで続くんだ!とちょっと不安になってたり。。。

George Jackson、Clarence Carter、Jimmy Hughes、Dan Pennの素晴らしいサウンド。三枚組みオムニバスの素晴らしい内容。どんどん出てくるレア・トラック集のこれまた最高の内容。いずれも何回も何回も繰り返し聴いた。ジャケットで何度も見てたRick Hallの、現在の姿が映されるだけで、ちょっと泣いてしまうよね。

ポール・サイモンが「ステイプル・シンガーズのバックで演奏している黒人ミュージシャンをレコーディングに使いたいんだけど」と電話をかけてきて、いいけど、全員白人だよ、と答えるエピソードとか、すごくいいよね。

ピーター・バラカンが解説で書いてるけど、当時の南部はみんなが思っている以上に黒人と白人が影響しあってたって。実はカントリーとリズム&ブルースの境目なんて、すごく曖昧なんだって。

でもさ、本当に、普段から、ものすごくイメージとか印象に縛られながら音を聴いてるな、って、改めて思った。

だって、オールマンブラザーズバンドや、レイナード・スキナードは、このアラバマのマッスル・ショールズが母体みたいなものなんだけど、わたしたちは最初から白人の音楽として位置づけている。それはサザン・ロックであって、サザン・ソウルではない。

翻って、ウィルソンピケットの「ダンス天国」やアレサのいくつもの曲のリズムセクションが全部白人だなんて、わかっていても、なんだか腹に落ちない。黒人だから、あの独特のグルーブができるんじゃないの? とか、思ってしまう。

マッスル・ショールズで生み出されたサウンドは、そんな音楽の境界線を、人種の境界線を、あっさりと乗り越えてくれているから素晴らしい。そのことを、このフィルムはとても鮮やかに映し出してくれている。あの独特のサウンドは、リック・ホールが、どうすれば売れるかを考えながら作り上げたとても乱暴なシステムから生み出されている。間に合わせのスタジオ、間に合わせの機材、呼び集められたミュージシャンたち。目標は、ただ、ヒットレコードを作ること。まるでニコ動の再生回数を上げるために、うけそうな曲をなんとか作ろうとしてる私たちの姿とそっくり。

音楽を、純粋に聴いて、音楽そのものを、純粋に、受けとめることは、本当に難しい。わたしたちの周りには、音楽とは関係がない情報に満ち溢れていて、誰もがその情報から自由に音楽を聴くことは困難になっている。

「初音ミク」と、聞いただけで、そこに「ソウルなんて存在しない」「本物のグルーブが産まれるわけがない」と思う輩は、いまさらながら多分大勢いる。いまこの瞬間にしか体験できない貴重な音を聴く機会を、多くの人が逸し続けている。

残念ながら、音よりも先に、情報が届いてしまう。

その、情報を確認するためだけに、音を聴く。それほど貧しい音楽体験は、ない。

わたしには、CDを買う金すら節約しなければならない朋輩が、ニコ動にアップされる音源の中から、必死に自分のソウルを、魂を探し出そうと躍起になっている姿の方が、圧倒的に共感できる。

いいんだよ、クソみたいな曲でも、クソみたいなアレンジでも、クソみたいなミックスでも。

お前にとってそれが最高だったら、それだけがお前にとってのソウルだ。