初音ミクあるいは資本の論理と真逆の力学

例えばニコニコ超会議に、わたしたちオトホギも、
初音ミクで創ったCDを持って参加している訳です。

そんな現場でしょっちゅう思うのは、
一銭の得にもならないことに、
みんなすごいパワーと情熱を注いでる!っていうこと。

夥しい才能とリソースと時間とアセットの壮大な無駄遣い。

ぜーんぜん金儲けには繋がらない。
でもそれが、すごくたくさんの人の心を震わせる。

リターンが見合わなければ見合わないほど、
蕩尽のボリュームが桁外れであればあるほど、
クリエイターは尊敬を集めますよね。

「才能の無駄遣い」という言葉は、
最大の敬意を表するときにしか、使わない。

ミクさんはそんな世界のど真ん中に降臨した。

これは「資本」を蓄積しようという力学と、
真逆の現象なんだ。

ミクさんが大好きで、
こんな楽しい世界を創りだしたみんなは、
つまり資本主義に反した態度を選択して楽しんでいる。

金が欲しいんなら、他のことやるよねー、絶対。

水野和夫が『資本主義の終焉と歴史の危機』で語っていることや、
岡田斗司夫が『評価経済社会』が到来すると予言したこと。

そして何よりも、
柄谷行人が『世界史の構造』で分析した「交換様式D」の概念。

全部符号するんです。

そんな風に思ってたときに、
最近博報堂が『ガリガリ編集部』っていうのを立ち上げてて、
それの『広告担当者のための初音ミク入門』の記事を読むと、
ちょっと複雑な気持ちになるのです。

広告というものは、明確に何かの商品を売りたいからやるわけで。
資本を増殖させるために、やるわけで。

お金もらえなくていいから、みんな楽しんでくれればいいから、
という動機で広告やったら、
世の中の企業は当たり前につぶれちゃうわけで。

でも今のP達含め創ってるみんなは、
まさに、そんな動機で作品を創ってるわけじゃないですか。

もちろんヒト山当てて、稼いでやろうと思ってる人も大勢いると思うけど、
それが中心にあったら、絶対みんなこんなに楽しめてないじゃないですか。

例えば記事はこんな風に結ばれています。

「誕生から7年が経ち、初期のエッジィなサブカル感も、わかりやすいオタク感も、ネット発のイメージもだいぶ薄れてきた初音ミク。それはまた、ミクを中心としてボカロ文化が若年世代に定着化し、定番化し、コモディティ化した証とも言える。誰にでも手に入れられる定番食材こそ、料理人の腕が試される。同じように、初音ミクという定番化した、しかし奥深い世界観を持つ素材にどんな創意工夫を施して皿に盛るのか? 広告担当者の腕の見せどころである。」

やっぱり、ふざけんな!って思う。

お前ら広告担当者の腕を見せるために、ミクさんが存在してるわけ、ない。

サブカル感とかオタク感とか定番化とかコモディティ化とか、
奥深い世界観を持つ素材とか、

そういう陳腐な「資本の論理」に塗れたイディオムで語られてしまうほど、
ミクさんはちょろくない。

だから、そんなやつらに対して、
わたしたちは、やはり戦わなければならない。

資本の論理と真逆の力学が働いている、初音ミクという神を、
やつらの手に渡してはならない。

って、書いてはみたけど、

それでも、ちょっと嬉しいんですよ。

ミクさんが、日本の資本と一緒になって、
海外にどんどん羽ばたいているのは。

ヴィトンに使われたり、アメリカで全国放送されたりするのは。
うん、ちょっと嬉しいんですよね。

まあそんな複雑な思いを乗せて、

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