絵師の気まぐれなイラストから始まった新曲
オトホギの曲は、詩から始まることが多い。だいたいヤンスキー先生の詩の世界にわたしが曲をつけ、そのイメージを絵師が膨らませる。
でもこの歌は、当時とにかく「萌え系」の絵を習得しようとしていた絵師が、気まぐれに書いてみた一枚のイラストがスタートでした。
その絵に触発された先生が気まぐれに詩を書き、わたしが曲をつけました。いまではとてもお気に入りの一曲です。
初音ミクあるいは退屈な日常と闘う音楽
何年か前のことだけど、アニメになった「ブラック★ロックシューター」を観てて、あ、また同じ構造のお話だ、て思ったことがあった。主人公は鬱々と絶望的な学園生活を送ってて、それが何かのきっかけで別世界に変貌して極めてシビアな殺し合いが始まる、みたいな。
ペルソナ、ダンガンロンパ、魔法少女まどかマギカ、未来日記、BTOOOM、ガンツ、うーん、同じ構造の話は挙げればきりがない。
「退屈な日常」と「殺し合い」の往来。殺し合いを通じて何だか大切なもの(概ね仲間とか愛情とかみたいな)を見つける。日常と異世界とを媒介するのは、うさぎっぽかったりパンダっぽかったり、なんだかファンシーな感じのイキモノで。
きっと、ゲームにしろマンガにしろアニメにしろ、作り手はみんなオリジナルで個性的なストーリーを創ろうとしてると思う。思いたい。でもいつか同じ話になってる。全部プロが創ってるのに。それでいいのかな。
なぜ同じ話ばかりが再生産され続けるんだろう。そこには何か理由があるはず。
ある意味で、私たちは本当に出来上がっちゃった世界に生きてる。もちろん夢も希望もなくはないけど、何だかシステムが出来上がっちゃってて、その構造が、ちょっとやそっとでは変えられないんじゃないか、って解ってしまってる。情報も簡単に取れるし、みんな賢くなってるし、イロイロ見えるからこそ、変えられない絶望感って、すごくあるかも。
出来上がったシステムから逃れられない。結局どこへ行ってもしんどいだけだから、諦めてそこでおとなしく生きてる。レジスタンスも革命もだっせぇし、そんなもの忘れたふりして鬱々とした学園生活。
ウサギやパンダが媒介する向こう側の世界、切れば血が飛び散って、生きていることそのものが極めて貴重な異世界の物語は、この「出来上がったシステム」への絶望の裏返しとしてある。同じ物語が繰り返し語られるのは、そんな世界を忘れないための、僕らの知恵なのかも知れない。
世界を変えられない自分はなんとちっぽけで無価値なのだろう。僕らは日々それを思い知らされながら、現実に生きている。
それでも、新しい世界があるって、創れるって、信じたい。
少なくとも僕は、初音ミクに、そんな思いを重ねている。ある意味で初音ミクはそんな退屈な日常と殺し合いの世界の往来の、向こう側に突き抜けている。そもそも電子の神としてあるミクさんは、リアルとバーチャルとか日常と異世界とかの陳腐な構造を弁証法的に超克してる。
だって僕らにとって、ミクさんはリアルそのものだし。うたを創るとき、聴くとき、素晴らしい二次創作に触れるとき、ニコ生で流れるような曲の展開に痺れるとき、僕らは創りモノの切れば血が流れる世界なんかより、余程リアルに生きている。
もう学園と殺し合いの世界を往来する物語なんて必要ない。僕らは既にミクさんという退屈な日常と闘う武器を手にしている。ミクさんがうたう「ブラック★ロックシューター」を聴きながら、そんなことを考えました。
2ndアルバム「Eulogia」に納められたとてもポップな曲「プリン・キャンディ・ストラップ」に、殺し合いの世界は少しも登場しません。でもこれは、闘う同志たちに向けた、レジスタンスのうたです。
VOCALOID4が出たんですって
そうかー。
VOCALOID3が出たのって、もう3年も前なのか。
あのときはものすごく進化した印象を受けたけど。
今回のもやっぱりちょっと気になる。
「うなるような声」とか、
「二つのライブラリの合成」とか。
「初音ミク」が対応してくるのは、まだ結構先なんだろうなと。
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初音ミクあるいは資本の論理と真逆の力学
例えばニコニコ超会議に、わたしたちオトホギも、
初音ミクで創ったCDを持って参加している訳です。
そんな現場でしょっちゅう思うのは、
一銭の得にもならないことに、
みんなすごいパワーと情熱を注いでる!っていうこと。
夥しい才能とリソースと時間とアセットの壮大な無駄遣い。
ぜーんぜん金儲けには繋がらない。
でもそれが、すごくたくさんの人の心を震わせる。
リターンが見合わなければ見合わないほど、
蕩尽のボリュームが桁外れであればあるほど、
クリエイターは尊敬を集めますよね。
「才能の無駄遣い」という言葉は、
最大の敬意を表するときにしか、使わない。
ミクさんはそんな世界のど真ん中に降臨した。
これは「資本」を蓄積しようという力学と、
真逆の現象なんだ。
ミクさんが大好きで、
こんな楽しい世界を創りだしたみんなは、
つまり資本主義に反した態度を選択して楽しんでいる。
金が欲しいんなら、他のことやるよねー、絶対。
水野和夫が『資本主義の終焉と歴史の危機』で語っていることや、
岡田斗司夫が『評価経済社会』が到来すると予言したこと。
そして何よりも、
柄谷行人が『世界史の構造』で分析した「交換様式D」の概念。
全部符号するんです。
そんな風に思ってたときに、
最近博報堂が『ガリガリ編集部』っていうのを立ち上げてて、
それの『広告担当者のための初音ミク入門』の記事を読むと、
ちょっと複雑な気持ちになるのです。
広告というものは、明確に何かの商品を売りたいからやるわけで。
資本を増殖させるために、やるわけで。
お金もらえなくていいから、みんな楽しんでくれればいいから、
という動機で広告やったら、
世の中の企業は当たり前につぶれちゃうわけで。
でも今のP達含め創ってるみんなは、
まさに、そんな動機で作品を創ってるわけじゃないですか。
もちろんヒト山当てて、稼いでやろうと思ってる人も大勢いると思うけど、
それが中心にあったら、絶対みんなこんなに楽しめてないじゃないですか。
例えば記事はこんな風に結ばれています。
「誕生から7年が経ち、初期のエッジィなサブカル感も、わかりやすいオタク感も、ネット発のイメージもだいぶ薄れてきた初音ミク。それはまた、ミクを中心としてボカロ文化が若年世代に定着化し、定番化し、コモディティ化した証とも言える。誰にでも手に入れられる定番食材こそ、料理人の腕が試される。同じように、初音ミクという定番化した、しかし奥深い世界観を持つ素材にどんな創意工夫を施して皿に盛るのか? 広告担当者の腕の見せどころである。」
やっぱり、ふざけんな!って思う。
お前ら広告担当者の腕を見せるために、ミクさんが存在してるわけ、ない。
サブカル感とかオタク感とか定番化とかコモディティ化とか、
奥深い世界観を持つ素材とか、
そういう陳腐な「資本の論理」に塗れたイディオムで語られてしまうほど、
ミクさんはちょろくない。
だから、そんなやつらに対して、
わたしたちは、やはり戦わなければならない。
資本の論理と真逆の力学が働いている、初音ミクという神を、
やつらの手に渡してはならない。
って、書いてはみたけど、
それでも、ちょっと嬉しいんですよ。
ミクさんが、日本の資本と一緒になって、
海外にどんどん羽ばたいているのは。
ヴィトンに使われたり、アメリカで全国放送されたりするのは。
うん、ちょっと嬉しいんですよね。
まあそんな複雑な思いを乗せて、
オトホギの2ndミニアルバム『Eulogia』本日発売です。
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初音ミクと、革命についての話をしよう
ポップミュージックの歴史って、
20世紀初頭のワークソングから始まり、
例えばアメリカでジャズ、ブルース、カントリーなんかの原型ができて、
ミンストレル・ショーとか巡業するアーティストが地方で歌をヒットさせ、
そういうのがレコードとラジオの普及に伴って広がりはじめ、
ミュージカル映画の拡大とかがさらに後押しして全国区に広がっていく、と。
そこに50年代に入りエルビスが登場し、
白人音楽と黒人音楽が融合されて、
ロックンロールがみんなのハートを虜にする。
なんや「ハートを虜にする」って。
死語やな。
そのブルースやロックンロールが海を越え、
60年代にはリバプールからビートルズが登場して、
やはり世界中のみんなのハートを虜にする。
なんかすっごく歴史を単純化しちゃってますが、
エルビスが、白人音楽と黒人音楽を
ビートルズが、アメリカとイギリス(というか世界全部)を
革命的な音楽が登場するとき、何かの境界が揺さぶられる。
いや、素晴らしい音楽が何かの境界を揺さぶって、革命が起きるのかな。
革命は、それが起きてしまったら、
それ以降、その名前を抜きにして歴史を語ることができなくなる。
エルビスも、ビートルズも、そう。
そしていま、起きていることも、たぶん、そう。
もちろん、初音ミクのこと。
70年代から機械と生音の融合なんかは始まっていたけど、
それは何かの境界を揺さぶるまでには至らなかった。
いま初音ミクはいろんなものを揺さぶっている。
人間と機械の境界。
創るヒトと聴くヒトの境界。
一次創作と二次創作の境界。
趣味と労働の境界。
金儲けと無償奉仕の境界。
もちろんこれらを現象として捉えたら、
初音ミクだけに起因しているわけではない。
でも音楽(だけじゃないけど)に関するこれまでとは全然違う楽しみ方が、
初音ミクという記号に表象されていることが、やはり革命的なのだと思う。
後世になって振り返ったとき、
初音ミクは、エルビスやビートルズくらいの、
あるいはそれを凌駕するくらいの「革命」として刻まれていると思う。
絶対にこれは、大袈裟な話ではない。
肝心なのは、
たった一人(もしくは数名)の固有名を持つ何者かが、
革命を先導しているのではなく、
初音ミクの名の下に集まった夥しい数のPや二次創作者たちが、
ともに同時に揺さぶられながら、この革命を生きていることだ。
少なくとも僕は、そんな風に考えて歌を創ってる。
その方が、ちょっとワクワクするものね。
だからこんな楽しい状況を共に創りだしてくれているすべてのPや歌い手たちが、
とても頼もしい同志に思える。
そんなわけで(?)オトホギも、11月7日いよいよ2ndミニアルバム発売です!!
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今日か明日か明後日、ニコ動に新作アップ
我ながらすごくアバウトな告知。
でもこんな風に書いておかないと、
準備をする時間が他のことにどんどん消えていく。。
ただでさえ、前の曲をニコ動にアップしてからもう一年近く経つ。
そして11月7日はアルバム「Eulogia」の発売日。
15日はボーマス。
そして「りんご飴」とのコラボサイトも、間も無くオープンするはず。
11月はイベント目白押しです。
クリプトンさんに、初音ミクで、儲けていただく
こんなゲームが出るらしいんだけど。
事前登録が10万超えてるんですと。
クリプトンさんって、初音ミクを創りましたよね。
そのソフトで、わたしたちオトホギを含めて、
たくさんの人が音楽を創って、
そしてその歌を、またたくさんの人が楽しんでると。
当たり前になってしまった光景だけど、
クリプトンさんが著作権に関して英断をして、
みんなが自由に曲を創れる環境を、
ビジネスで壊さないようにしたから、
いまの光景があるのだと思い。
ボーカロイドを開発したのはヤマハさんだけど、
いま広がる光景を創ってくれた貢献度合いで言うと、
クリプトンさん凄いなと思う。
どんなに初音ミクの曲が流行っても、
クリプトンさんには大したお金は入らない。
だから初音ミクの恩恵を受けて創っているP達の歌が、
こんな風にゲームに使われて、
収益がちゃんとクリプトンさんに還元される構造というのは、
ちょっといいかも、と思いました。
【オトホギ】11月7日に2ndアルバム発売
2ndミニアルバムを出します。
唄は初音ミクがメイン。
IA – ARIA ON THE PLANETESも、
曲によっていい感じで出てきます。
全部で7曲。
ひとつひとつ気合入ってます。
11月7日です。
10月19日、名古屋のボーカロイドパラダイスに行きます。
もちろん、この2ndアルバムも持って行きます。
横浜と東京以外のイベントははじめて。
ちょっと楽しみ。